ながかったような、思うよりずっと短かったような…
とにかく、終わってしまいました、「井出創太郎 渡部家住宅その光と記憶」展。 三期を通じてのべ5000人余りの来場者をお迎えすることができました。 さみしいと言えば、さみしいけれど。。。 でも、5000人の方の記憶のフィルムに井出作品の影が焼き付けられたのだと思うと、 やはり、これはお別れではなく「出会い」だったのだとそう思えます。 みなさま、ご来場ありがとうございました。 運営中、実行委員以外にも、 たくさんの方々にお手伝いいただきました。 みなさん、多忙にも関わらず、こころよくご自分の労と時間を割いて下さいました。 もしかしたら、これは愛媛の風土なのかもしれません。 あるいは井出さんご自身の魅力だったのかもしれません。 でもやはり、一番は井出作品の力だったのだと思います。 「時の記憶に寄り添いながら」…は井出さんの制作上のキーワードのひとつでした。 特にこの三期の会期中、私は何度もこの言葉を思い返していました。 刻一刻と表情を変えながら射し込む外光を受けて 井出作品は刻々と移り行く「今・このとき・この場所」を映し出していました。 ほんのひと月のその間にも周辺の木々は色彩を変えて行きました。 そしてそれらは、まぎれもなく井出作品の 重要な要素のひとつであるように感じられました。 完成した作品からは、井出さんと家屋との声なき対話が聴こえて来るようでした。 「今」は過去からつながっているということ、 あたりまえすぎて立ち止まること無く通り過ぎていたことを、 井出さんの作品空間はリアルな<体験>としてここに届けてくれました。 腐食の過程をある程度以上は井出さんすらコントロールすることのできない緑青刷り。 思えば、緑青の薄緑色は、渡部家のそのどっしりとした佇まいにも、 それからめくらめく変化していった風景のどの色彩にも、美しく調和していました。 「寄り添って、かたちづくる」ということは、 井出さんの作品の制作工程において終始かわらぬ姿勢だったのではないかと思います。 産部屋の障子のひとつに、井出さんはあえて空白を残しました。 それは、「今」の一瞬先はもう「未来」であるということの象徴。 140年の記憶を刻み、これからもここに在り続けるだろう渡部家住宅の、 <晴れの記憶>の片隅に自らの影を残せたことの喜びに、 感謝の気持ちはあふれてやみません。 (よねだ)
by watanabekejyutaku
| 2009-04-17 22:35
| 渡部家住宅の見所
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